詩篇73篇
前半の悪者へのアサフの妬みと後半の讃美は対象的である。アサフの心の解決は、悪者の最期を見とって溜飲を下げることでなかった。解決は聖所へ到ることであった17v。
なぜならアサフは悪しき者の最期を悟りはするが17v、その滅びは預言的なものであり18,19,20v、悪しき者の隆盛は未だ繰り広げられていた。
それでは、アサフを解決に導いた聖所とはなんであろう。
それは①むなしく心をきよめる祈りではなく13V②盤で手を洗わければならない神殿礼拝でもなく13V③苦行を重ねる修行でもない14V。
聖所とは神の臨在される場所であるが、形だけの祈りや、習慣としての礼拝、奉仕をただ重ねる事は、聖所へ到る道ではない。
探すのではなく、霊の眼が開かれる事が肝要である。なぜなら霊の眼で振り返れるならば神は絶えず共におられるからだ23V
聖所への道は、霊的な世界である。
興味深いのは「右の手」とは武器を持つ手である。
私の右の手を握ってくれる神の手は左手であり、私の代わりに剣を持つのは神である。
あれこれと思いを振り回されるのではなく、神への思慕を第一として今日も歩み出しをしていこう。
