早天想起 神の領域

申命記29:29

現された事は私のものであるが、隠されている事は神のものである。29V
モーセの告別説教であるが、モーセの稀有な人生は40年もの間イスラエルの民に寄り添ったが、結局約束の地を踏めなかった。
その理由はメリバの水での失敗ではあるが、代償があまりにも大きすぎてモーセは理不尽に感じなかっただろうか。

モーセに「なぜ」という思いは終生尽きなかったことであろう。しかし、モーセの偉大な点のひとつは答えのない問いに徒労する事はなかったところである。

いや詩篇90篇をよむなら逡巡はしているが、しかしもはやメリバの時のように人々に思いをぶつけるのではなく、神への祈りへと昇華している。

「なぜ」に関して明らかにされる事と、終生、秘密にされる事がある。だから、答えも得られず、志半ば、道半ばで 召される事はおおいにありえる。

しかし祈りの中で、神に触れる時、それらも 委ねる者へと変えられる。その高みへと祈りすすみでてまいりたく願う。


詩篇 90篇12節「どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに知恵の心を得させてください。」

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