早天想起 船頭と艫

マルコ4:35-41
向う岸へ渡る船へ乗り込む一行だが、ゲラサ地方は異教徒の土地でありつまり異世界であった。
キリストはそのゲラサ5:1で汚れた霊5:2と対峙するわけだが、その前哨戦としてこの嵐をとらえると何とも不気味である。ただの嵐ならば元漁師の多い弟子たちならば難なく乗り越えていただろう。
けれども霊の戦いにおいてはそうはいかない37V

宣教とは舟を漕いで異教徒の元へキリストを届けることである。
しかしこの働きは、ただの渡し船の船頭ではない。
その証拠にたどり着くまで激しい試練の嵐がある。
弟子たちも異世界へと向かう航海におどろおどろしいものを感じ恐れたのではないだろうか。

けれども汚れた霊と戦われるのは、私自身ではなくキリストである。5:8
恐れることなく舟の艫におられるキリストを届けよう。

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