マタイ14章17章21章
ペテロの湖面歩行、山の麓での神癒、いちじくの枯木。いずれも、弟子たちは不信仰を指摘されている。
しかしキリストは、公生涯の前に試みの荒野で、パンと神秘と奇跡を拒否してから宣教を開始された。
不信仰とされた記事は、いずれも同じテーマを扱っているようにも思える。
ではなぜキリストは自ら拒否されたパンと神秘と奇跡を弟子たちに求められるのだろうか。
目的と手段を違えてはいないだろうか、と問われる。
目的は神の臨在に到ることであるが、その手段として日毎のパンが与えられる。
しかしパンを目的としたとき、目が塞がれてしまう。
奇跡も神癒も同じである。
神ともにいますインマヌエルに預かることが、目的である。
神を近くに感じて今日も歩み出しをして参りたい。
