早天想起 民草

使徒13:42-14:7

パウロとバルナバが会堂で説教をすると群衆からの受けはよく、次の安息日にはほぼ町中の人々が集ったとある。13:44v
妬みにかられるユダヤ人は45Vもはや予定調和的な存在でもある。
神のことばを正しく告げるならば、妬みむ輩は出てくるし、罵りのことばには、正面から応えてあげればよろしい。13:46,47v

問題はユダヤ人に扇動される群衆である。
初めは神のことばを喜んで受け入れるが、そそのかされてパウロたちを追い出したり13:50v、悪意を抱かせ14:2v、殺害しようとまでする14:5v
群衆の反発に対して、パウロとバルナバは正面から応えようせず、足のちりを払い落として去り51V、また逃れた6V。

うつろいやすい民に愛想をつかせてしまいたくもなっただろう。
しかしそうした民を神は愛でた事を改めて想う。
聖霊の満たしがなければ、伝道の働きは難しい。52v
聖霊を求めて、良き備え日となる事を祈りつつ。

「人はみな草のよう。その栄えはみな野の花のようだ。主の息吹がその上に吹くと、草はしおれ、花は散る。まことに民は草だ。草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。」
イザヤ40:6-8

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