Ⅱテモテ3章
終末の世にあっては、見かけは敬虔であっても敬虔の力を否定する者5Vがいる。
なぜ敬虔を否定する者となったのだろうか。
それは、いつも学ぶがいつになっても真理を知る事ができず7Vに、たぶらかし6Vや、詐欺師13Vとして立ち振る舞うしかないからだ。
真理は知識だけでは、会得しない。
Ⅰコリント8:1「知識は人を高ぶらせ、愛は人を育て 」るものだから。
敬虔の力とは何であろう。
老練なパウロはテモテに、幼い頃から得た聖書の確信と親しみにとどまるように勧める。15V
経験的、霊的な事実としてとらえる事が、敬虔の道であり力となる。
やがてそれは迫害や苦難に耐え、かつ解決へと導かれる信仰となる。11V
神を経験する事。
その力こそが働き人の建て上げに必要な事柄である。17V
